東京地方裁判所 昭和28年(ワ)11062号 判決 1956年7月04日
原告(反訴被告) 林重太郎
被告(反訴原告) 尾形紀夫
主文
被告(反訴原告)は原告(反訴被告)に対し金百二万円及び内金十七万円に対する昭和二十八年十二月一日以降、内金十七万円に対する昭和二十九年一月一日以降、内金十七万円に対する同年二月一日以降、内金十七万円に対する同年三月一日以降、内金十七万円に対する同年四月一日以降、内金十七万円に対する同年五月一日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。
原告(反訴被告)のその余の請求を棄却する。
被告(反訴原告)の反訴請求を棄却する。
訴訟費用は本訴、反訴を通じ被告(反訴原告)の負担とする。
この判決は原告(反訴被告)において金三十四万円の担保を供するときは第一項に限り仮に執行することができる。
事実
原告(反訴被告以下原告と略称する)訴訟代理人は、「被告(反訴原告以下被告と略称する)は原告に対し金百二万円及び内金十七万円に対する昭和二十八年十二月一日以降、内金十七万円に対する昭和二十九年一月一日以降、内金十七万円に対する同年二月一日以降、内金十七万円に対する同年三月一日以降、内金十七万円に対する同年四月一日以降、内金十七万円に対する同年五月一日以降各完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とする」との判決並に仮執行の宣言を求め、反訴について「被告の反訴請求を棄却する。反訴費用は被告の負担とする」との判決を求め、
本訴請求の原因として、
原告はもと東京都武蔵野市吉祥寺千九百四十八番地において質商を営んでいたものであるが、昭和二十八年五月下旬、自己の営業上の質権を貸金債権と共に被告に譲渡し、その譲渡代金は、前記譲渡目的物を右譲渡当日現在の状態において評価して、金百七十一万五千八百四十三円と定め、被告は内金一万五千八百四十三円を、右契約成立と同時に支払い、その際残金百七十万円はこれを昭和二十八年七月以降、同二十九年四月まで毎月金十七万円宛十回の月賦払にて完済することを約したところ、被告は昭和二十八年七月分より同年十月分まで四回合計金六十八万円を支払つたのみであるから、被告は原告に対し残金百二万円及び内金十七万円に対する昭和二十八年十二月一日以降内金十七万円に対する昭和二十九年一月一日以降、内金十七万円に対する同年二月一日以降、内金十七万円に対する同年三月一日以降、内金十七万円に対する同年四月一日以降、内金十七万円に対する同年五月一日以降各完済に至るまで年六分の割合による損害金を支払うべき義務がある。よつてその支払を求めるため本訴請求に及んだと述べ、
被告の主張事実に対し、右質権譲渡は、原告が林屋質店なる質屋経営の用に供していた被告主張の如き訴外岩上こう名義の(イ)宅地、(ロ)倉庫、(ハ)店舖兼居宅、(ニ)門、塀及び建物附属工事一切、樹木庭石現状のまゝの物件並に(ホ)広告権(ヘ)電話加入権と共に一括して譲渡がなされ右(イ)ないし(ヘ)については一括してその代金を四百七十四万八千円と定め、これについては既に物件の引渡、代金の支払を了し、譲渡質権については更に別個に昭和二十八年六月二十一日現在において金百五十一万六千三百七十四円と見積り、内金百三万八千五十四円の分に対してはその一割の利息金十万三千八百五円、残金四十七万八千三百二十円の分に対してはその二割の利息金九万五千六百六十四円をそれぞれ加算して、その代金を金百七十一万五千八百四十三円と定めこれを割賦払とし、質物の引渡を了したこと、右譲渡質権に属する質物の点検、表記記載の金額、質物の中味等は一々点検しないが、この件に関し原告はその責任を負うという特約があつたこと、訴外株式会社林屋質店が昭和二十八年四月十七日被告主張の役員をもつて、武蔵野市吉祥寺千九百四十八番地を本店として設立登記され、武蔵野税務署に設立申告がなされたこと、及びその後被告主張のようにその商号役員及び本店に変更があり、その旨の登記がなされたこと、訴外株式会社武蔵屋質店が昭和二十九年十二月九日質屋営業の許可を受けて同年同月十九日から武蔵野市吉祥寺二千百十七番地において質屋営業を開始したこと、原告が一時東京都渋谷区代々木富ケ谷町において質屋を経営し、その後この店舖を他に譲渡したこと、譲渡質権のうち金四十七万八千三百二十円と見積り利息二割を加算したものの中には、原告が訴外安藤文太郎より譲受けたもの以外のものが含まれていることは認めるが、被告が倉庫を補修したこと並にその費用支弁の事実は知らない、その余の事実はすべて争う。原告は個人として質屋営業の許可を受けて営業していたのであり、本件譲渡の質権も、原告個人として質受し或は他より譲受けたものにして、原告は実質的にも形式的にも株式会社林屋質店の名において営業をした事実なく訴外株式会社林屋質店は設立されたものの、会社として何等営業をしなかつたものである。しかして本件質権譲渡と一括して譲渡がなされた他の物件の対価金四百七十四万八千円なる数額は、土地、家屋、広告権(電柱、駅ホーム側、銭湯等の広告-これは被告が質屋営業を始めるについて、従来原告が使用していた林屋質店なる名称を使わせて欲しいとの希望から原告が既に支払つた右の広告代を計算したもの)及び電話加入権を個々に評価してこれを合算したものであつて、この外に「質屋営業権」とか所謂「権利益」又は「のれん代」といつたものは何等加算されていないし、又元来「質屋営業権」なるものは質屋営業法にもとずき個別的対人的に公安委員会の許可(行政許可)によつて附与されるものであつて、これを自由な私法上の取引によつて任意処分し譲渡流通せしめることは、その性質上不可能というべく、原、被告間に質屋営業譲渡契約が締結されたという被告の主張は理由がないのみならず、かりに原被告間の右契約が被告主張のように所謂営業譲渡契約であるとしても、被告は、該契約による譲渡質権残代金の支払を免がれざるべく、被告の同時履行の抗弁は理由がない。即ち契約当事者は個人たる原告にして、訴外株式会社武蔵屋質店とは全然別人格であり、しかも原告は右訴外会社の役員でもなければ株主でもない、従つて右訴外会社の営業に関連して、原告に対する本件譲渡代金の支払を拒む理由とはなし得ない。又同時履行の抗弁は当事者双方が相互に対価としての意味を有する債務を負担する所謂双務契約につき認められるもの(民法第五百二十二条)であるところ営業譲渡においては譲渡目的物件の引渡と、代金の支払という相互の義務が対価関係に立つ双務契約の全部であり、商法第二十五条第一項の定める営業譲渡人の競業避止義務は、商法が特別に営業譲渡人に課した義務にして、営業譲渡から派生的に生ずるものにすぎず、営業譲渡契約そのものとは別個のものであるから、かゝる特別の義務は、譲渡代金支払債務と対価関係に立つものではなく、これをもつて代金の支払を拒み得ないこと明らかである。更に現在被告は個人として質屋を営業せず、現在質屋を営業しているのは有限会社林屋質店(昭和二十八年八月十九日設立取締役被告)である。従つて個人たる被告が原告に対し競業避止義務をもつて云々することは失当である。
次に本件質権譲渡にあたり、訴外広幡哲夫入質にかゝる質権は一切譲渡の対象から除外したのではなく、譲渡質権のうち金四十七万八千三百二十円と見積り、利息二割を加算したものは、原告が訴外安藤文太郎より譲受けたもの及び質物として金額がかさみ有利なものその他特殊の事情にあり、原告はこれを譲渡の対象より除外せんと望んだが、被告の懇請により結局これも譲渡することとし、これを他の一般商品と区別して、仮にこれを「安藤氏分」と呼称し、特に利息二割を加算することを約定したのであつて、この分については、原被告立会の上一々現物に当り、台帳と対照しており、これに訴外広幡のものが含まれているかどうか、原告が訴外安藤文太郎より譲受けたもの以外のものがあるかどうかは、右対照により被告も当然承知しているところであるのみならず、この点は本件契約においては重要な要素でもなければ、結果を左右する理由ともならず、この点に関する被告の主張は理由がない。
更に本件倉庫は原告がこれを新築し、質屋営業の許可を申請した際、当時の監督官庁たる武蔵野警察署より質屋営業法上の許可基準に合致するかどうかの調査に来り、これに適合するものとして、原告に右許可を与えたものであり、右倉庫は質物保管設備基準に合致し何等の瑕疵も存しないのみならず、本件契約当時、原告は質屋を営み、被告は旅館業を営む各商人であつたから、仮に本件倉庫に瑕疵があつたとすれば、商法第五百二十六条によるべきところ、原告は昭和三十年九月十日に至つて始めてその旨の通知を受けたのであつて、被告は目的物を昭和二十八年六月七日頃受取りながら、受取つた後遅滞なくこれを検査することを怠り、又該瑕疵が直ちに発見する能わざるものであつたとしても、その発見当時は目的物を受取つた時より既に六ケ月以上を経過し、しかも被告は原告に対し発見後直ちにその通知を発しなかつたのであるから、原告に瑕疵担保の責任があるという被告の主張は失当である。と述べ、
反訴請求原因に対する答弁として、反訴請求原因に対する答弁はすべて本訴における原告の主張と同一であるからこれを援用する。特に被告はさきに述べたように現に武蔵野市において質屋営業をしていないのであるから、慰藉料とか競業により蒙る財産上の損害の賠償等の請求はその前提において既に理由がない。慰藉料金五十万円及び競業により蒙る財産上の損害の数額の点も争うと述べた。
被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」旨の判決を求め、答弁として、
原告がもと東京都武蔵野市吉祥寺千九百八十四番地において質商を営んでいたことは認めるが被告は原告より昭和二十八年六月中、原告が訴外株式会社林屋質店(代表者原告)名義をもつて、武蔵野市吉祥寺千九百八十四番地において経営中の質屋営業を、(一)原告が訴外岩上こう所有名義で所有した武蔵野市吉祥寺千九百八十四番地所在の(イ)宅地九十三坪一合四勺、(ロ)石造瓦葺二階建倉庫一棟建坪六坪二合五勺、二階六坪二合五勺、(ハ)木造瓦葺平家建店舖兼居宅一棟建坪四十坪六合七勺、(ニ)門、塀及び建物附属工事一切、樹木庭石現状のまゝの物件及び原告が訴外株式会社林屋質店名義で経営中の(イ)質屋営業権(屋号林屋質店)(ロ)広告権、(ハ)電話加入権(武蔵野三三四五番)の営業権等は代金四百七十四万八千円と見積り(二)又原告が原告及び訴外株式会社林屋質店名義で質屋営業経営上有する訴外広幡哲夫名義の株券、手形、衣類その他の質権を除外した一切の質権は同年同月二十一日現在において(イ)原告並に訴外株式会社林屋質店名義の質権の分は、これを金百三万八千五十四円と見積り、この金額に対しては、その一割の利息金十万三千八百五円を加算して金百十四万千八百五十九円とし、(ロ)又原告が訴外安藤文太郎より譲受けた質権の分は、これを金四十七万八千三百二十円と見積り、この金額に対しては、その二割の利息金九万五千六百六十四円を加算して金五十七万三千九百八十四円とし、右(イ)(ロ)の合計金百七十一万五千八百四十三円を、内金一万五千八百四十三円は別にこれを小切手で支払い、残金百七十万円はこれを昭和二十八年七月より毎月末日限り金十七万円宛の月賦で支払う、(ハ)右譲渡質権に属する質物の点検、表記記載の金額、質物の中味等は一々点検しないが、この件に関し原告はその責任を負うとの特約で譲受けて原告より右(一)記載の物件及び営業権(二)記載の質物等の引渡を受け原告に対し右(一)記載の代金を支払い、右(二)記載の月賦金については昭和二十八年七月分より同年十月分までの四回合計金六十八万円の支払を了したものである。即ち原被告間には質屋営業譲渡契約が締結されたのであつて、たとえこの質屋営業に関連する前述(一)と(二)に記載する物件並に営業権と質権とがそれぞれ別個に評価譲渡され、その履行の方法が約定されたとしても、これ等の契約は右質屋営業譲渡契約と不可分の契約であつて、質屋営業譲渡契約と全然別個の独立した質権譲渡契約なるものが原、被告間に存在するわけではない。
しかして原告が前記質屋営業譲渡契約に関連する質権譲渡の残代金の支払を求めるものであるならば、原告は右質屋営業譲渡契約における譲渡人として、譲受人たる被告に対し、商法第二十五条第一項の規定に則り、武蔵野市及び隣接区市村町内において、譲渡契約のあつた昭和二十八年六月より二十箇年間は、自ら質屋営業をなし得ないものであり、又原告は譲渡の時は、訴外株式会社林屋質店名義で質屋営業をなし、同会社の営業権、広告権、質権等を被告に譲渡したものであるから、民法第一条第二項の規定に則り、質屋営業譲渡契約にもとずく義務を誠実に履行すべきものとし、訴外株式会社林屋質店をして前記商法第二十五条第一項の規定により、武蔵野市及び隣接区市村町内において、質屋営業をなさしめてはならない義務を負うものである。しかして訴外株式会社林屋質店は質屋業を目的として昭和二十八年四月十七日、代表取締役兼取締役原告、取締役訴外岩上忠次、同内田伝蔵、監査役順川夏太郎を役員とし、武蔵野市吉祥寺千九百四十八番地を本店として設立登記をし、同日武蔵野税務署に設立申告をなしてその本店所在地において質屋を開業したものであるが、同年六月前記営業譲渡後は営業をせず休業していた。しかるに原告は、暫く東京都渋谷区代々木富ケ谷町千五百七十三番地において林屋質店を経営していたが、昭和二十九年六月十日この質屋業をも訴外戸沢正夫に譲渡するや、前記義務に違反して昭和二十九年八月一日訴外株式会社林屋質店の商号を株式会社武蔵屋質店と、役員を代表取締役兼取締役岩上政二(原告の義弟で使用人として原告方に同居する)取締役林雅男(原告の実弟)、同内田伝蔵、監査役岩上こう、同林富子(林雅男の妻)とそれぞれ変更し本店武蔵野市吉祥寺二千百十七番地に移転し、同日右の変更登記をすませ、同年十二月訴外株式会社武蔵屋質店名義をもつて営業許可を受け、同年同月十九日から株式会社武蔵屋質店としてその実原告自らの実権において、被告と競争して、武蔵野市吉祥寺二千百十七番地において質屋営業を開始した。よつて被告は原告が訴外株式会社武蔵屋質店をして武蔵野市及びその隣接区市村町内において質屋営業をなさしめざるようこれを廃止せしめてその義務を履行するまで、同時履行の抗弁権を援用して、本訴請求の残代金の支払を拒絶する。
のみならず、原告が訴外安藤文太郎より譲受けた質権として金四十七万八千三百二十円と見積り、被告が譲受を受けたもの(前記(ニ)の(ロ))のうち、(1) 金四万七千円は営業譲渡契約によつて譲渡質権から除外された訴外広幡哲夫名義の質物に関する質権であり、又(2) 金三十八万八十円は原告自身が林屋質店(原告個人及び訴外株式会社林屋質店)を経営中に質受けした質権であり(かゝる質権に対する利息は前記のように一割とすべきもの)真実原告が訴外安藤文太郎より譲受けた質権は金五万一千二百四十円にすぎないにかゝわらず、原告は前記質屋営業譲渡に際して、被告が質屋営業に未経験で営業帳簿その他の事務に暗いことを奇貨として、被告より金員を詐取せんことを企て、訴外岩上政二と共謀の上、右(1) 及び(2) を訴外安藤文太郎より譲受けた質権であると詐称して、被告を誤信させ、よつて被告より右(1) の金四万七千円とこれに対する利息金二割金九千四百円合計五万六千四百円及び右(2) の金三十八万八十円に対する差引一割の利息金三万八十八円総計金九万四千四百八円を詐取した。よつて被告は原告に対し、この詐取された金額に相当する代金の支払義務の意思表示を本訴において取消し、この金額の限度において支払義務なきことを抗弁する。
更に原告が被告に譲渡した物件中石造瓦葺二階建倉庫一棟建坪六坪二合五勺、二階六坪二合五勺は、質屋営業に関する質物保管設備基準規程(武蔵野市公安委員会告示第五号)の定める質物保管設備基準によれば質物を蔵置する倉庫は(一)床下の地盤面は厚さ六センチメートル以上のコンクリートで固めなければならないし、又(二)外周部の出入口には、金庫とびら又はこれに準ずべきものでなければならないところ、この基準によらない不完全な瑕疵のあるものであり、被告はこれを昭和二十九年四月発見した。よつて被告は右基準どおりの補修をしなければならない立場となり、これが補修費として同年五月三十日金八千円、昭和三十年九月四日金一万円合計金一万八千円を支出した。従つて原告は前記質屋営業譲渡の譲渡人として、営業譲渡により、譲渡した物件に対する瑕疵担保の責任を負い、被告に対し金一万八千円を賠償すべき義務があり、かつ原告は、前記のように被告を欺罔して被告より金九万四千四百八円を詐取したものであつて、これにより被告は同額の損害を蒙つたのであるから、原告は被告に対しこれを賠償すべき義務があるをもつて、被告は右合計金十一万二千四百八円の賠償請求権をもつて、本訴において、原告請求金額と対当額につき相殺する。と述べ、
本件契約当時、原告が質屋を営み、被告が旅館業を営んでいたこと、有限会社林屋質店が昭和二十八年八月十九日設立され現在その名義で質屋営業がなされていることは認めると述べ、
反訴として「原告は被告に対し金七十二万七百八円及びこれに対する昭和三十一年三月三十日以降完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。原告は被告に対し昭和三十一年三月十九日以降向う五年間、一ケ月金一万円の割合による金員を原告が訴外株式会社武蔵屋質店をして武蔵野市及びその隣接区市村町において質屋営業の廃止をなさしめざる限り支払え、反訴費用は原告の負担とする」旨の判決を求め、その請求の原因として、
被告は原告から昭和二十八年六月一日原告が訴外株式会社林屋質店名義をもつて武蔵野市吉祥寺千九百四十八番地において経営中の質屋営業を金六百四十六万三千八百四十三円で譲受けたところ、原告は商法第二十五条第一項の営業譲渡人の競業禁止の規定及び民法第一条第二項の信義誠実の原則に関する規定に反して、訴外株式会社林屋質店の商号、役員、本店等を変更登記の上、株式会社武蔵屋質店として昭和二十九年十二月十九日より武蔵野市吉祥寺二千百十七番地において質屋営業を開始し、このため被告は昭和二十九年十二月十九日以降同業者間の信用を失墜すると共に精神的打撃を蒙り、この損害に対する慰藉料は金五十万円を相当とし、かつ被告は営業譲渡人たる原告の競業による得意先の喪失、喧伝効果の滅殺及び有形無形の妨害により一ケ月金一万円相当の財産上の損害を蒙つている。
又原告は右質屋営業譲渡に際して、契約によれば原告が質受けした質権に対して一割の利息を加算し、訴外安藤文太郎より譲受けた質権に対しては二割の利息を加算する約定であつたところ被告が質屋営業に未経験であることを奇貨とし被告より金員を詐取せんことを企て、訴外岩上政二と共謀の上原告が訴外安藤文太郎から譲受けた質権はその実金五万一千二百四十円にすぎないのに、他の質権をも原告が訴外安藤文太郎から譲受けたものとなし、該質権は金四十七万八千三百二十円となりと詐称し、よつて差引金四十二万七千八十円に対する一割の利息金四万二千七百八円を被告より詐取し被告に同額の損害を蒙らしめた。
更に原告は右営業譲渡により被告に譲渡した物件中、石造瓦葺二階建倉庫一棟建坪六坪二合五勺、二階六坪二合五勺の床下の地盤面と外周部の出入口は、質屋営業に関する質物保管設備基準規程の定める質物保管設備基準によらない瑕疵があり、被告はこれを昭和二十九年四月発見し、その補修費として金一万八千円の支出を余儀なくされた。
以上の各事実の詳細はすべて本訴請求原因に対する答弁において主張したとおりである。
よつて、原告は被告に対し前記慰藉料金五十万円、原告の競業により、既に被告の蒙つた財産上の損害即ち昭和二十九年十二月十九日より昭和三十一年三月十八日までの十六ケ月間、一ケ月金一万円の割合による損害賠償金十六万円、原告の詐取により被告の蒙つた損害の賠償金四万二千七百八円、瑕疵担保の責任にもとずく損害賠償金一万八千円、合計金七十二万七百八円及びこれに対する昭和三十一年三月三十日(請求の日)以降完済に至るまで商事法定利率年六分の割合による利息並に原告が訴外株式会社武蔵屋質店をして武蔵野市並にその隣接区市村町において質屋営業の廃止をなさしめざる限り昭和三十一年三月十九日より向う五年間、被告が原告の競業により蒙るべき財産上の損害の賠償として一ケ月金一万円の割合による金員を、支払うべき義務があるから、その支払を求めるため反訴請求に及んだと述べ、なお被告は訴外有限会社林屋質店名義で質屋営業をしているものであり、仮に被告が質屋営業を右有限会社に譲渡したとしても、原告は被告に対して競業禁止義務違反による損害賠償義務を免れないと附陳した。
<立証省略>
理由
一、成立に争いのない甲第一、第二、第六、第八号証、乙第六、第十、第十一号証と証人岩上こう、同岩上政二(第一、二回)の各証言、原、被告与各人訊問の結果並に弁論の全趣旨を綜合すれば、原告は昭和二十八年一月二十一日質屋営業の許可を受け、東京都武蔵野市吉祥寺千九百四十八番地において林屋質店なる名称のもとに質屋営業を営んでいたものであるが、同年六月二十一日現在において、その営業上の質権を貸金債権と共に、貸金額により金百五十一万六千三百七十四円と見積り、内金百三万八千五十四円の分に対しては、その一割の利息金十万三千八百五円、残金四十七万八千三百二十円の分に対してはその二割の利息金九万五千六百六十四円をそれぞれ加算して、その代金を金百七十一万五千八百四十三円と定めて被告に譲渡し、該質物を被告に引渡し同時に被告は右代金の内金一万五千八百四十三円を原告に支払い、その際残金百七十万円は、これを同年七月以降、同二十九年四月まで毎月金十七万円宛、毎月末日限り、原告に支払い完済することを約し、昭和二十八年七月分より同年十月分まで四回合計金六十八万円は既に支払済となつたことが認められるのであるが、他方右の質権譲渡は質屋営業の譲渡のためなされたものであつて、即ち原告は昭和二十八年六月その経営にかゝる前記林屋質店なる質屋営業を被告に譲渡し、被告をして、原告に代つて右質屋営業を同一名称のもとに継続して経営せしめるため、前記質権とともに、右質屋営業に供ぜられていた訴外岩上こう(原告の妻の母)所有の、武蔵野市吉祥寺千九百四十八番地所在(イ)宅地九十三坪一合四勺(ロ)石造瓦葺二階建倉庫一棟建坪六坪二合五勺二階六坪二合五勺(ハ)木造瓦葺平家建店舖兼居宅一棟建坪四十坪六合七勺(ニ)門、塀及び建物附属工事一切樹木庭石現状のまゝの物件(ホ)広告権(電柱、銭湯等の広告)(ヘ)電話加入権(武蔵野三三四五番)を前記質権とは別個に評価しその代金を一括して金四百七十四万八千円と定めこれ等を一括譲渡したものであつて、右土地、倉庫、店舖兼居宅は同年同月中に被告に引渡し、右金四百七十四万八千円の代金は被告より既に支払を受け、質取引人名簿、質物台帳等の帳簿も被告に引渡したこと、(もつとも被告本人訊問の結果中、右金四百七十四万八千円中にはのれん代が評価算入されている旨の供述部分は信用し難いが、かゝる利益が対価に評価算入されなかつたとしても、これをもつては未だ直ちに右認定を覆すに足らず、又質屋営業は公安委員会の許可を得た特定人に限りこれをなすことができるものであつて、かゝる一般的な禁止を解除せられた地位そのものは自由な私法上の取引の対象となり得ないことは明らかであるけれども、この点は、質屋営業の譲受人が当該質屋営業をするためには公安委員会の許可を受けるの要があるにとどまり、直ちに質屋営業の譲渡を不能とするものではなく、右認定の妨げとはならない。)しかし訴外株式会社林屋質店はその実体、原告の質屋営業の単なる外形的形式に外ならず、原告の質屋営業経営上の名義的な存在といつたようなものではなく、又同会社自体の質屋営業経営が原告によつて行われていたといつたものでもなく、同会社は原告が個人として経営していた前記質屋営業を将来吸収承継せしめるために、昭和二十八年四月十七日質屋業を目的とし、代表取締役兼取締役原告、取締役岩上忠次、同内田伝蔵、監査役順川夏太郎、本店武蔵野市吉祥寺千九百四十八番地として設立登記がなされ、同日武蔵野税務署に設立申告をしたものであるが、結局原告の質屋営業を承継するに至らないうちに、前記原、被告間の質屋営業譲渡がなされ、その間会社として何等質屋営業をしなかつたこと、(成立に争いのない乙第十二号の三のはがきの差出人として、株式会社林屋代表林重太郎なる記載があるけれども、これをもつては未だ右認定を覆すに足らない。)しかしその後同会社については、原告は代表取締役、取締役を岩上忠次は取締役を順川夏太郎は監査役をそれぞれ退任し、昭和二十九年八月一日商号を株式会社武蔵屋質店と変更し、岩上政二(岩上こうの子)が代表取締役兼取締役に、林雅男、(原告の実弟)が取締役に、岩上こう、林信子が監査役にそれぞれ就任し、内田伝蔵が取締役に重任し、本店を武蔵野市吉祥寺二千百十七番地に移転した旨の登記が昭和二十九年八月十八日になされ、同年十二月九日同会社に対して東京都公安委員会より質屋営業の許可が与えられ同年同月十九日から同会社名義の質屋営業が武蔵野市吉祥寺二千百十七番地において開始され、右武蔵野市吉祥寺二千百十七番地には、岩上忠次(岩上政二の父)名義で宅地、家屋が購入され、右質屋営業に供せられているのであるところ、原告は前記質屋営業譲渡後、暫く東京都渋谷区代々木富ケ谷町千五百七十三番地において新に林屋質店の経営を始めたが、これを他に譲渡し、昭和二十九年五月六日前記武蔵野市吉祥寺二千百十七番地に帰来し、岩上政二も同年夏頃より同所に原告と同居し、岩上政二は原告が元武蔵野市吉祥寺千九百四十八番地において質屋営業をしていた当時、その使用人であり、右株式会社武蔵屋質店名義の質屋営業開始にはその程度は別として、ともかく原告も関与していることが認められる。
二、しかしながら、単に質屋営業といえば質物をとつてこれに対し金銭を貸し付ける行為を業としてなすことをいうのであるから、質屋営業ということはより直ちにこれをもつて商行為を業とするものであり、その営業者を商人であるということを得ないところ、商法第二十五条第一項を適用すべき営業は商人の営業であることを要すると解せられるから、原告は前記認定のように質屋営業を被告に対し譲渡したものであるけれども、同条項の適用なく当事者間に競業避止に関する特約なき以上、原告が被告に対し、武蔵野市及び隣接区市町村内において昭和二十八年六月より二十年間、質屋営業をしてはならない義務を負うとはいゝ難いのみならず、前に認定したところから直ちに株式会社武蔵屋質店名義の質屋営業が実質において原告の営業であり、専ら原告のためになされているといつたような事実を肯定し難く、被告の全立証によるもかゝる事実を認めるに足らないから、株式会社武蔵屋質店をして武蔵野市及び隣接区市町村内において質屋営業をなさしめざるようこれを廃止せしむべき義務の如きを到底原告に認めることができない。従つて、被告の同時履行の抗弁並に反訴請求中、慰藉料及び原告の競業により被告の蒙る財産上の損害賠償の請求はすべて理由がない。
三、次に前記譲渡質権中、金四十七万八千三百二十円と見積り、二割の利息を加算したもののうちには、原告が訴外安藤文太郎より譲受けたもの以外のものが含まれていることは原告の認めるところであり又成立に争いのない乙第九号証と被告本人訊問の結果によれば、質置主が訴外広幡哲夫名義の衣類を質物とするもの金四万七千円も含まれていることが認められる。しかしながら証人安藤文太郎の証言と原、被告各本人訊問の結果によれば、右金四十七万八千三百二十円と見積られたものは、その中に原告が訴外安藤文太郎より二割の利息を附して譲受けたものがあり、全体として品物が上等で有利な質物であり、一割の利息を附して譲渡された一般質物と区別して特に一纒めにして別途、居宅応接間に保管されていたもので、当初はこれをすべて譲渡の対象より除外することになつていたのであるが、訴外岩上政二がこれを譲受けなければ損失を招く旨を告げ、被告にこれを譲受くべきことを奨めたので、被告もこれを譲受けることとし、原告と折衝してこれを「安藤氏分」と呼称し、これに対しては特に二割の利息を附することとなつたものであつて、成立に争いのない甲第二号証、乙第八号証中にある「安藤氏分」も右のような意味にすぎず、必ずしも譲渡質権は本当に原告が訴外安藤文太郎より譲受けたものに限つて二割の利息を附し、その余はすべて一割の利息をもつて譲渡するという話合ではなかつたことが窺われ、右認定を覆すに足る証拠なく、又成立に争いのない甲第一号証、乙第九、第十一号証と被告本人訊問の結果によれば、当初質置主が訴外広幡哲夫名義のもの(株券、手形、衣類等)は一応譲渡の対象より除外することになつていたことが明らかであり、被告がこれを除外した動機は広幡哲夫一人に集中して金五十万円もの貸付金があり、手形は質物として問題であつたからであつたところ、右金四十七万八千三百二十円と見積られたものは、これを個別的に記載した乙第九号証のノートと現物とを双方立会の上対照し、右ノートには質置主として広幡哲夫の氏名が明記され、その他質物台帳にも同人の氏名が記載されているでのあるが、多数の質物が対照され、かつ被告は広幡を白幡と誤解して除外されるものは白幡名義の質物と思い、その中に当初の約定からいえば除外されるべき質置主訴外広幡哲夫名義の衣類がはいつていることに気づかなつたということも考えられないでもないけれども、原告が訴外岩上政二と共謀の上、被告の右不知を奇貨として、被告を欺罔し、よつて被告をして前記質置主訴外広幡哲夫名義の衣類を質物とするもの金四万七千円を譲受けしめたというが如き事実は到底これを認めるに足る証拠がない。然らば、原告が訴外岩上政二と共謀の上、被告を欺罔したことを前提とする被告の抗弁並に、反訴請求中これを前提とする損害賠償請求はすべて理由がない。
四、次に被告は、原告は譲渡物件中倉庫につき瑕疵担保の責に任ずべき旨主張するから、この点について判断するに、原告が商人といえないことは前記のとおりであるから商法第五百二十六条によるべき旨の原告の主張はこれを容れることは得ないが、かりに本件倉庫の床下の地盤面と外部の出入口が被告主張のように質屋営業に関する質物保管設備基準規程の定める質物保管設備基準に合致せず、これが民法第五百七十条に所謂隠れたる瑕疵がある場合に該当するとしても、これを理由とする損害賠償の請求は民法第五百七十条、第五百六十六条により、事実を知つた時より一年内にこれをなすことを要するところ、被告が右瑕疵を昭和二十九年四月発見したことは被告の自認するところである。しかるに、被告が右発見後一年内に裁判外においても原告に対し損害賠償の請求をした事実は何等主張立証がない(本訴において被告が始めて右損害賠償請求権を主張したのは昭和三十年九月十日であること記録上明かである)から被告の右損害賠償請求権は被告が本訴において被告主張のような相殺の意思表示をした昭和三十年九月十日当時は既に消滅に帰していたというべく、従つてまた既に消滅せる以上は、被告は最早やこれをもつて相殺もなし得ざるに至つたものというの外はない。然らば原告が本件倉庫の瑕疵に対する担保責任として被告に対し損害賠償債務を負担することを前提とする被告の抗弁並に反訴請求中、これを前提とする損害賠償請求はいずれも理由がない。
五、しかし質屋営業ということより直ちにこれをもつて商行為を業とするものであり、その営業者を商人であるということを得ないこと前述のとおりであり、本件質屋営業譲渡当時被告が旅館業を営んでいたことは当事者間に争いがなく、被告は当時商人であつたということができるけれども、被告の本件質屋営業の譲受は、その行為の性質上独立の事業である質屋営業経営のためにするものであつて、被告の旅館業経営のためにするものに非ざること疑なきをもつて、本件質屋営業譲渡契約は原、被告のいずれのためにも商行為たる行為ということを得ない。
六、然らば被告原告に対し百二万円及び内金十七万円に対する昭和二十八年十二月一日以降、内金十七万円に対する昭和二十九年一月一日以降、内金十七万円に対する同年二月一日以降、内金十七万円に対する同年三月一日以降、内金十七万円に対する同年四月一日以降、内金十七万円に対する同年五月一日以降各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による損害金を支払うべき義務があるから、原告の本訴請求は右の限度においてこれを正当として認容し、その余は失当として棄却し、被告の反訴請求はすべて失当であるからこれを棄却すべきである。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 園田治)